今回は、横プーが高校2年の時、体験したEmerson,Lake&Palmer初来日公演です。
現存している音源はBootのみであり、映像もさすがにクリアなものはありません。
しかし、当日の天候含め若きプーには、感動、興奮をもたらせました。
▶開演日、会場
▶オープニングアクト
▶EL&P LIVE
▶メンバーの死(1998年ー現在)
■開演日、会場
1972年7月22日、後楽園球場(その後、東京ドームと姿を変える)7月24日は甲子園球場でのLIVEだったが、観客がステージになだれ込み中止となった。
そのため、後楽園LIVEは絶頂期の若きスーパーグループの軌跡となった。
当時は客席はスタンドのみで、ステージはセカンドベースあたりに組み上げられていた。
■オープニングアクト
その時のFREEは、既に壊れかけておりポールコゾフもアンディーフレーザーが抜けており日本人の山内テツがベースを弾き、ラビットがキーボードとして参加し、ポールロジャースがギター弾きながらのボーカルで、正直緊張感に欠けるアクトだったと記憶している。■EL&P LIVE
FREEのプレイ後、約1時間雨の中を待たされ(TV 東京生放送の時間合わせのため)、観客のボルテージが最高潮に高まった中、演奏は「HOEDOWN」からスタートした。内容は、誇張ではなく凄まじいものだった。Emersonはミニムーグを持って上半身裸で走り回り、キーボードに日本刀をぶっさす演出、Lakeは姿も瘦せていて甘いボーカルでCRIMSONの一節も歌っていた。Palmerは大車輪でドラムを叩き、ジャンもぶっ叩いていた。何よりも感心したのは、あれだけ3人が激しいアクトとインプロを行いながら楽曲の破たんが無かったことである。
1.ホウダウン
2.タルカス~アクアタルカス
3.石を取れ~ラッキーマン~ピアノ・インプロヴィゼイション
4.展覧会の絵~キエフの大門
5.トッカータ
6.ロンド
*.残念ながらBootです!!
興奮冷めやらぬまま、大森の家に帰ると、何とありがたいことにTV東京で深夜に当日LIVEを再放送しており、一夜に二度興奮を味わってしまった。
■メンバーの死(1998年ー現在)
2002年
2002年、レイクがリンゴ・スター主催のバンドのメンバーとしてアメリカ・ツアーに参加している。同年、エマーソンはザ・ナイスの復活ツアーや、キース・エマーソン・バンドとしてのツアーを敢行している。また、エマーソンは2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』の音楽を担当している。パーマーはオリジナル・メンバーで再結成したエイジアに参加し、ワールド・ツアーを行った。
2016年
2016年3月、キース・エマーソンが他界。同僚のグレッグ・レイクやカール・パーマーは「彼は先駆者にして革新者であり、彼が作った音楽は永遠に生き続ける」と、追悼の念を述べている[13]。
そして同年12月、癌による闘病の末、グレッグ・レイクも他界する。残されたカール・パーマーは、同年に2人もメンバーを亡くした事実に落胆した。
[ウィキペディア参照]
それにしても、70年代にEMERSONは「楽器の基本はあくまでピアノだ」と述べ、激しいステージアクトのために毎日2,000mプールで泳いでいた硬派なミュージシャンだった。
横プーもミュージシャンが次々他界する中で、今一つ現実感を持てないでいる。
それでは、また、横プーでした。
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